東京高等裁判所 平成8年(ラ)1151号 決定 1997年6月02日
《住所略》
抗告人
鈴木あきらこと
鈴木斐
《住所略》
相手方
伊夫伎一雄
《住所略》
相手方
若井恒雄
《住所略》
相手方
岸曉
右相手方ら代理人弁護士
浦野雄幸
同
土屋公献
同
高谷進
同
小林哲也
同
小林理英子
同
加戸茂樹
同
千田賢
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
一 本件抗告の趣旨は、「原決定を取り消す。相手方らの申立てを却下する。」との裁判を求めるというものであり、抗告の理由は別紙抗告理由書記載のとおりである。
二 本件の事案の概要、当事者双方の主張の要旨は、原決定の摘示するとおりであるところ、当裁判所も、抗告人の相手方らに対する本案訴訟の提起が、商法267条6項、106条2項にいう悪意に出でたものであり、抗告人に対し担保の提供を命じるのが相当と判断するものであり、その理由は、原決定の理由説示のとおりであるから、これを引用する。そして、抗告人は、抗告理由のとおり右認定を非難するが、右説示に照らし、採用することができない。
そして、本案訴訟における請求金額のほか、本案訴訟の性質及び難易その他本件に現れた事情を総合すれば、抗告人に対し、相手方らのために、共同の担保として原決定の定めた3000万円を供託させるのが相当と判断する。抗告人は、右担保の金額が高額であると主張するが、右の事情に照らし、採用することができない。
三 よって、本件抗告は理由がないから、これを棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 小林亘 裁判官 滝澤孝臣 裁判官 佐藤陽一)
別紙
抗告理由書(第一回)
平成8年(ラ)第1151号・担保提供申立抗告事件
平成8年8月29日
抗告人(原告)・鈴木あきら
相手方(被告)・伊夫伎一雄
右同・若井恒雄
右同・岸暁
東京高等裁判所民事第7部御中
抗告理由
第一、<1>三菱銀行(以下、当銀行という。)と赤井電機との関係は、少数株式の持ち合いや経営介入関係、また金融取引関係はあっても、連結決算の対象となる法的な子会社および関係会社でもないから、貸出債権を合法的に放棄できる経営上の法的な関係は、全く存在していない。
また赤井電機は、元々三菱グループの傘下企業でもない。独占禁止法上においては特例を除いて金融機関の株式における会社支配関係は厳しく禁止されている会社関係にある。
当然、赤井電機は、法的に倒産、破産、和議、整理等が決定されたわけではない。
つまり、相手方(以下、被告らという)らは、法的に貸出債権を放棄できない会社関係であることをよく知りながら、当銀行の赤井電機向け貸出債権の内、95億円を正当な理由なく、これを故意に放棄することを決議した上放棄して同額当銀行へ損害を与えた。
<2>また、被告らの行なった、前記の貸出債権の放棄は、赤井電機がセミ=テックグループに買収された後、もしくは買収の正式契約決定後において決済されたものである。従って当銀行の同債権放棄は、実質的にセミ社の子会社の赤井電機に対して「債務免除」という利益を供与したと同然である。セミ社と当銀行の間においても、貸出債権を合法的に放棄できる法的関係は全くない。なお、同債権の放棄は、当銀行とセミ社との間の「赤井電機売買条件」の中の“密約”の一つでもあるといわれている。
以上の事実関係から、被告らの経営責任下で決済された貸出債権95億円の免除は商法第254条ノ3(忠実義務違反)・同法第486条(特別背任罪)および同法第294条ノ2(株主への利益供与禁止)等の法令に明らかに著しく違反するものである。
第二、<1>本件被告提出の準備書面によると、赤井電機の業績悪化の原因は、「過当競争や円高等による。」だから「メーンバンク制下の経営責任上、貸出債権の放棄をすることも社会的に正当だ」という。さらにこれは「三菱銀行の社会的・経済的信用をも維持する結果になる。」とも言う。
だがそれは真っ赤なウソで責任逃れの口実に過ぎない。もし三菱銀行が本当に「メーンバンク」として、また銀行自身の社会的・経済的信用を真剣に考えるならば、再建に経営介入した以上、同銀行は三菱グループ全体の総力を借りても赤井電機を同業のアイワ電機のように優良会社に育成することの社会的責務があったはずであり、またその力が三菱グループには十分あったはずである。
<2>赤井電機の実質的な「経営破綻」の真の原因は、三菱銀行自身の社会的・経済的信用を全く顧みないことから起きた“長年に渡る放漫経営の放置”である。赤井電機の業績がとくに三菱銀行が経営介入後再建どころか更に悪化するに至った原因には、特に三菱銀行からの出向ダミー役員である社長、専務、常務等による無策、無能、無責任のいわゆる『放漫経営』であることがはっきりと同業界の定説にもなるほど証明されている。だからこそ同行は、社会的・経済的な責任逃れから赤井電機をセミ=テックグループに対し“のし料”(不正な貸出債権の放棄95億円)を付けて“身売り”したのである。この結果、セミ=テックグループは、実質72億円の投資で、現在(本年8月10日)500億円近くの株価資産(赤井電機の株式)を得ている。
旧三菱銀行出向役員らによる赤井電機の“放漫経営”は、被告らの三菱銀行“放漫経営”の氷山の一角を表わすものである。
第三、 以上、被告らの行なった事実関係に対し、抗告人(以下、原告という。)は、被告らの前記貸出債権の放棄が違法と思われるところから本訴提起を行ったものである。
これに対し、担保請求事件の原審「決定」においては「原告の本訴請求には、十分な事実的・法律的根拠が伴わない。かつ原告の行為は「総会屋」と共通の行動形態を示している。このため「悪意」が強く推認される。よって3000万円供託せよ。」としている。
この決定は基本的に、被告側の法的な根拠ない主張や歪曲、差別を持った不当な論理を全面的に認める一方、原告の事実に基づく主張に対しては無視、もしくは故意に事実を歪め、故意に事実を誤認しそして故意に奇弁を使って「悪意の規定」を悪意を持って“拡大解釈”して決定した不当な「決定」内容であると思われる。
第四、<1>そもそも「悪意」の訴訟が認定される条件とは、株主が役員を訴える本訴請求内容に対して(イ)役員の経営責任が刑事的に民事的に無実無根であることが立証できる場合。(ロ)役員の経営責任が法的に全くないことを知りながら、故意に役員らを害する企図が明らかな場合。(ハ)また、無実無罪の判例が多くあることを知りながら訴えたことを立証できる場合もしくはそれに準ずる場合等においてのみ、被告役員は原告株主に対して「悪意」の対価として「担保請求」できるといういわば“限定条件”付きの規定と学説および判例ではいわれている。
従って、本裁判官らの「悪意の決定」は、被告らの不当な主張に迎合する故に「悪意」の規定を“悪意”をもって悪意に「拡大解釈」した「悪意ある決定」といわざるを得ない。
<2>また同裁判官らは、「原告の行動は、総会屋と共通の行動形態を示している。」から「悪意」という。しかし同裁判官らは「総会屋」の基準、定義や実状、実態をよく把握しよく熟知して“総会屋論”を論じているのであろうか!恐らく知っているとしてもいい加減な片寄った情報のみであろう。
「総会屋」とは、一口にいうと「諸会社の株主権を悪用し、不正の利益をえる者(業)」と判例が出されている。つまり法的には「総会屋」は違法業者ということになる。
従って、裁判官らが原告を「総会屋と共通の行動形態を示す。」と言うのであれば先ず原告の「違法業者と共通の違法行為の事実」を具体的に立証してから断定するのが正常な裁判官の責務ではないか!
<3>民主的正常な裁判官なら、いい加減な情報や基準でいい加減な「悪の乱造」をしてはならないと思う。
もし仮に原告が「総会屋」であったとしても、会社経営上に法的な疑問点等が生じた場合、これを株主として裁判権を行使することがどうして「悪意」となるのか。
もしこれを「悪意」と断定するその裁判官こそ、「悪意」を持って“法の下の平等”や“株主平等の原則”を侵すきわめて悪質な“非民主的裁判官”とならないか!
第五、<1>「供託金3000万円の原審決定」は、庶民の平均的所得水準に照らせばまさに“法外”なものである。と同時に、国会審議・決議を経て民主的に改善された「株主代表制度」を根底から無視する恐るべき非民主的不当な「差別決定」であるといわざるを得ない。
これを決定した卑劣な裁判官らども、少し“頭がおかしい”のか、それとも限りなく庶民を見下し愚弄する“わる”なのか、いや“無知”なのかどうか知らないが余りにも異常な「巨額決定」である。
(裁判官といえども、一部には「絵に書いたモチ」的な“正義”論や「机上の空論」的“正義”論の理想におぼれ、現実の庶民一般の生活上の「人道的善悪論」を全く無視する“エリートバカ”もいるだろう!)
<2>「供託金3000万円の決定」の内訳、算出方法は定かでないが恐らく被告らが主張する“弁護料金”の大部分を認定した結果と思われる。これは裁判当局が庶民の平均的所得水準を全く無視して、悪徳弁護士や「大金のかかる裁判」を故意に「公認」している最たる証拠ではないか!
今日もはや裁判所は悪徳弁護士の主たる温床といってもけして過言では無い。この結果、我国の弁護士料金は裁判所“公認”下で世界一高い“ボッタクリ料金”である。このため、もし庶民階級が刑事・民事等の裁判に遭遇したとしても、安心して私選弁護士を活用できる状況に全く無い。
○そもそも、民主的法治国家の民主的裁判制度とは、民衆誰もが収入に見合う形で気軽に安く公正な裁判を受ける権利を当局が保証することではないか!
○民主国家の正当な民主的政治活動や行政において“大金”がかからない事が前提と同様に、裁判においても“大金”がかからない制度こそが民主的裁判の前提であり、またそれが民主的国家形成の基本原則であるはずである。
第六、<1>「供託金3000万円の決定」は、裁判官個人の民主的順法精神の欠如した“わるか無知、無能か無責任か”どうか知らないが、裁判所全体に悪徳弁護士を“公認”し裁判に大金がかかる事が放置されているのが我国裁判の現状であるから、株主代表訴訟には“大金が係る”のは当然と当局は言うかもしれない。
しかしそれには限りなく“奇弁”がある。
<2>我国の会社の特別背任等の事件が刑事事件であり、その弁護人が国選であるならば弁護料は1件1審当たりたったの8万円である。公判も少なくかつ迅速である。
<3>特に本件の場合は“略式裁判”同然であるといいたい。
なぜなれば、「悪意の訴訟」が確定すると、本件代表訴訟は、ほぼ9割以上勝負が確定したと同然となる。「悪意」の確定後供託金を出して本裁判で争っても勝訴の可能性はほとんどあるまい。(裁判官同者の“面子立て”もあるので。)
つまり本件の場合、代表訴訟の勝負を大きく支配する担保請求事件の審理は、口頭弁論も開かず、証拠調べもなく、準備書面の審査のみで「決定」が下された。これは“略式裁判”なみであるということである。
<4>この“略式裁判”なみの裁判で代表訴訟の9割以上の勝負がほぼ確定するという要素を持つ株主代表訴訟の「供託金」がどうして3000万円という巨額ものが必要であるのであろうか!
第七、<1>また、「悪意」の訴訟の本裁判において、中立公正は全く期待でき無い。むしろ“暗黒裁判”になる。
「悪意の訴訟」と認定された本訴に対して、原告が3000万円を供託して本裁判で争っても“原告勝訴”の可能性はきわめて少ないことは明白である。その上もし本訴で原告の“敗訴”が確定すると、被告が原告に請求する損害金は2000万円以上(ほとんど弁護料金)請求してくるであろう。
しかもこの巨額な損害金の被告請求が「悪徳弁護士算出の不当なものだ。」として原告が裁判に訴えてみても「本人訴訟」でかつ「悪意の訴訟」の認定がある限り現裁判においては、恐らく原告に対し“1000万円”以上の損害弁償の「判決」が下される可能性がきわめて強い。悪徳弁護士が「公認」されているのであるから。
これはまさに「株主正義」の裁判が結果的に悪徳弁護士に合法的に巨額な悪徳を与える為の恐るべき“暗黒裁判”になりかねない。
<2>裁判の中立公正及び民主化・庶民化等に尽力をすべき裁判官が、結果的にせよ巨額かつ不当な悪徳弁護士費用の「公認」をはかる。これは裁判官による「悪徳弁護士増殖」の支援行為同然となるばかりでなく裁判官による憲法で保証された庶民裁判権の妨害行為という結果をえがくものとならないか!
第八、 原告は、原審も抗告審もいわゆる「本人訴訟」である。我国において本人訴訟の裁判は、裁判官自身がよく軽視すると言われている。この理由の中には司法関係者の「排他主義」または裁判官自身が退職後やがて弁護士になる可能性があるから“弁護士抜きの裁判”はどうしても裁判官自身が軽視・敬遠するといった定説は一概に否定できるものではない。こうした中では原告は全く不利な状態にある事は言うまでもない。
本件の原審における不当差別・不当決定の原因は、単なる無責任裁判官個人の問題ではない。裁判所全体によどむ旧態依然とした“庶民愚弄”の慣習的な差別意識が根源にあるものと思われる。
いわゆる「本人訴訟」に対する司法当局者らの“私利私欲”による卑劣な「蔑視・差別・偏見」等が巧妙に慣習として存続していると思われる。
第九、<1>今日、民主法治国家の我国において、その根幹である“司法制度”が相変らず旧態依然とした非民主的権威の驕りにおぼれている面がかなりあり、そしてその民主化への脱皮が著しく出遅れているといわれている。
中でも特に民事裁判においては、人権無視の「明治時代」がそっくり生きているといわれている。
このためさまざまな民間の法的もめごとが「民事裁判として浮上してくるのは全体の氷山の一角」であるから、残りの多くはほとんど正当な裁判を受けられること無く“泣き寝入り”という世間の「判決」を受けてヤミからヤミへと消えて行く事になる。
これが憲法で保証されているはずの我国の「民事裁判」の寒く悲しい現実の姿である。
<2>民主化の前衛的な存在であらねばならない司法当局が、特に民事裁判が「民主化」に背を向けて“改善、改革”を否む。この原因の中には、当局者らの官僚特有の有能でありながら「市場原理」を知らぬ故に、公僕精神を忘れた所から起きる“役人諸悪の根源”である驕りや無知、無策、無責任、怠慢等がある。とにかく役所の非合理な組織の硬直化は限りなく“改善、改革”を敵視しがちなものである。
しかし、自己「改善、改革」を否み怠慢する当局の中の裁判官らは、「被告罪人」らに対しては、厳罰の上自力更正、自助努力、行動に責任を等の「自力改善改革」を高台から偉そうに説法するというから世には滑稽な話が多いということになる。
これは権力者の驕りというよりも、人は皆いずこのいずれも「自分に甘く、他に厳しい。」ものだからけして裁判官も神様でないことの証明というべきか!
第十、 「権力はいかなる権力も長期的には必ず腐敗する。」という格言通り、今日我国の官僚制度は、その長期化から構造的に疲労、疲弊化し国民全体に甚大な弊害をもたらしている。
こうした中で法務省とその関連機関もけして例外な存在ではない。むしろ「法務省改革」こそすべてに優先すべき緊急な政治、行政課題であると思われる。すべての民主化はすべて“法”が原点なのだから。
第十一、原告は本件を通じて、
<1>被告らの一方的な「奇弁・口実・歪曲・事実誤認・デッチあげ事実」等を一方的に認定すること。これに対し原告の事実に基づく訴えを「悪意」と拡大解釈する裁判当局の「奇弁・口実・歪曲・故意なる事実誤認」等の卑劣な奇策、不公平さを知った。
<2>悪徳弁護士の巨額弁護料金請求の“公認”も改めてよく知った。
<3>「本人訴訟」は“司法分野”を荒らす外敵の「直訴」として当局の逆鱗に触れる事実もよく知った。
<4>「官制善・悪」の乱造可能の権限をたてにして“改善、改革”を怠る当局の無策・無能・無知・無責任の一部もかいま見た。
○いわゆる同じ人間でありながら「市場原理」を知らない「役人」らの旧態依然とした非民主的卑劣な恐るべき“驕り、不公正、職権乱用による独善独裁や善悪の乱造、無策無能無責任、怠慢”等の事実関係を一部ながらも体験を通じて改めてよく知ったということである。
第十二、原告はいま裁判当局の一部に強く「不信」を抱く者である。
しかし、裁判官とて人間である以上非民主的公権力の「官制善悪観」に溺れる者もいれば、また反対に民主化をめざして人道的「民制善悪観」に情熱を燃やす真に民主的中立公正な裁判官も多くいるであろう。
よって原告は、真に中立公正な裁判官に出会う事を信じて抗告することにした。
○最後に私的な要望として、
裁判所の審理に係わる用語、用文はいずれも一般民衆には“難解”なものが多い。
故意なる“難解な用語、用文は、裁判所権威の“シンボル”の一部という考えがもしあるならば、それこそ時の流れを無視した旧態依然の「井戸の中の蛙」的権威の驕りに“溺れる”さまの一面を表わした“権力ボケ”の最たるものではないか!
本件は「本人訴訟」に付き、また原告は一般の教養のみの持ち合わせなので本件の裁判審理に係わる書面はすべて一般大衆に解りやすい用語、用文を使用したものを是非お願いする。
平成8年8月29日
抗告人 鈴木あきら